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ここで時間とアシ(ここでは自動車)のある方は彦崎より宇野線沿いに6km位東へ行ったところにある円すい形の山、常山(つねやま)標高307mに登ってみよう。山腹をグルグル、ハチ巻きのように登って行くと車なら7〜8分で頂上に出ます。頂上には常山城跡とTVの電波塔があります。歴史好きには常山女軍で有名な常山合戦の跡地をじっくり散策してください。
それよりも素晴らしいのは頂上からの眺めです。現在はやや樹林がジャマをしていますが360°結構楽しめれます。西の方向は倉敷、北方は広大な干拓地と岡山市、東方は金甲山を始めとする児島の山々、南は山並みの上に瀬戸大橋、四国(高松マリンタワーも見えます)の山々、島々と見飽きません。中世の人々がナゼここに城をつくったのかも、この頂上に立てば納得できます。目の良い昔の人なら山陽道を始めとする陸路、目の下の児島北岸の海の様子、南に目を転じれば瀬戸の島々まで一望できたワケですからその重要性は言うまでもありません。
倉敷川が児島湖へ流れ出る?場所も確認できます。児島湖と児島湾を分ける児島湖締切堤防も見えます。一番最初に倉敷川のことを高梁川の支流という表現で片付けましたが、本当はもう少し複雑な水系なのです。まず昭和34年(1959)にこの締切堤防ができるまで細々とですが海の満干潮により日に2回海水の流入と流出がかなり上流までありました。大正の頃までは途中の水門も余りないため現在の美観地区あたりまでモロに満干潮の影響がありました。又、水の取り入れは高梁川の一部を新田に引いた農業用水の余りを細々ともらっていた程度で川というより澪(水尾)筋を利用した海運用の運河と言った方がより解り易いかもしれません。いづれにせよ現在の倉敷川は用水のポンプ利用による大がかりなテーマパーク型のものと考えて良いでしょう。
倉敷川を軸に最上流部分から最終の児島湖に消えるまでのまわりの風景・歴史を追ってみました。このリポートは'07の晩夏から'08の初夏までと結局8ヶ月余り掛かってしまいました。ですから後半の写真は晩夏ではなく初夏のものです。ご了承ください。 |